まちばり

つくりかけのおもいでのパッチワーク

衣服購入録 世界破壊編

 人間というのは、衣食住揃ってないと、人間としての資格を剥奪される。

 というのも、法律でそのように決まっているので、これは誰にも変わらず等しく課せられた義務であり、これを守らないと自分が死ぬか、法律のもと裁かれることが確定しているのである。

 そしてこの3つのうち、外を歩く場合は衣服を着用していないと、警察から逮捕され、美味しくないご飯と単純労働とをしなければならなくなり、前科というものがついて、これから死ぬまでの人生がみっともなくなる。

 これが住居に守られているなら限りではないのではあるが、ふとした瞬間に家から足を出したのを見られた瞬間に人生がみっともなくなるのである。

 衣服というのは、ものすごくおそろしく、かつ、大切なものなんである。

 つまりまあ、最低限を確保してないと、社会に抹殺されるのである。

 そしてこの、SNSのはびこるワールドでは、運悪く撮影などされてしまえば拡散され、場合によっては自殺さえも選ばなければならないのである。

 それほど、衣服というものは大事なのだが、いかんせん、「おしゃれ」「コーデ」などという光をはなつワードにより、我々のような大きめの石の下のダンゴムシ、重箱の隅、逆を向いてるひまわりにとって、非常に衣服店への入場ハードルというものは高い。

 考えてもみてほしい。

 そういった店では、ある程度そのように衣服購入のモチベーションが高い人間のために、店員さんはできるかぎり洒落た格好をしているのである。

 そして、衣服購入のモチベーションの高い人間というのは、見た目に気を使い、ある程度の金銭を所持しており、いっぱいの友達がおり、夏はバーベキューに海、昼は鍋にスノボ、部活はテニス、スマートフォンのゲームはパズドラ、といったふうに人間として完成された、模範的人間であり、すごい企業とかから内定をもらったりして人生をエンジョイ、湘南乃風、ワニマ、といった感じである。

 一方私は通学衣服は常にジャージ、金銭はさほどあらず、大学でできた友達は全員中国人(留年したのでもう全く顔を合わせない)。夏は家、冬も家といった体たらくであり、言ってしまえば真逆の人間である。

 ではその、湘南乃風人間に向けられた店に入店する、ということはすなわち、死ということであり、結局私は爆笑しながらジャージで暴れるほかないのである。

 しかし、それではよくない。

 別にジャージが悪というわけではないし、最低限、衣服ではあるが、つるつるしているのでなんか嫌なのである。

 嫌ならなにをすればいいか。

 変えていく、行動していかなければならないのである。

 てなわけで、私は「誰だって自分の宿命に打ち勝ちたいんだよ、バイ、寺山修司。あゝ荒野」とか叫びながら近所の古着屋に向かった。

 

 古着屋は凄惨たる有様だった。私はイヤホンで自衛していたので、湘南乃風、ワニマに対してシールドを張り、爆音で筋肉少女帯頭脳警察を流して逆相違で打ち消す、いわばノイズキャンセリングをすることができたのだが、似合う服を選び合ってるカップル、でかい外国人、やばい店員がげらげら笑いながら服を選んでいるのである。

 逃げ出しそうになった。が、私は立ち向かう、と決めたのである。皆殺しの川へ赴く象の気持ちで歩みを進めると、ジーンズコーナーがあった。ハンガーに噛まれて吊るされているのである。

 私は「ほほん、こういうものをつけることによって、我が身がすばら、ということを顕現させ、町をゆるゆると闊歩することができるのであるか」と思い、一枚一枚見て、あるダメージジーンズを見て、手が止まった。

 持ち主が明らかに死んでいるのだ。

 どう考えても日常生活でつけられるにしては限界がある傷が四方八方についたあげく、汚れに見えるそれも米国の国旗であるジーンズがあったのだ。

 これは間違いない、持ち主は米国人に殺害された挙げ句、米国国旗をスタンプ、月に旗を刺したあいつと同じようなことを人間におこなったのである。

 きっとあの、入店したときにいた爆笑しているでかい外国人は、指名手配の暗殺者であって、複数人で来ていたのもみんなで囲んで殴り殺して、それを知らずと高額で買い取った黄色人種を見て爆笑していたのである。

 許せん、しかし、私にはなにもできない、と思い、複数枚見ていたところ、ぜんぜんそんな感じの、持ち主が死んでいるダメージジーンズはいっぱいあったのである。

 ということはつまり、文学的に解釈するに芥川龍之介の「羅生門」なんである。

 あれはノリで死体がいっぱいあるところに入ったやつが髪の毛を引っこ抜いてるばばあを発見、かつらにするとかほざいておるので、生きるためには悪いことをする必要もあるんだよ、ということを発見したが、それはそれとして、そのノリで入ったやつがばばあの服を剥ぎ取って、売り飛ばすぞ、とスキップする、みたいな話だった気がするが、つまり、あの外国人は祖国から逃げてきて、どっかで死体からジーンズを剥ぎ取って売って、お金がいっぱい入って嬉しいなってしてたわけである。

 私は、彼らに対して疑いの目を向けたことを恥じ、でも死んだ人の服を着る趣味はないので、破れていないジーンズをかごに突っ込み、そしてついでに、人間的装いをするためのジャージからの脱却、ということでシャツを覗いたのだが、意味不明な外国人の顔面や、意味不明な文字が描かれているものばかりで、さらにまれにそういったものでも意味不明な値段がついていたりする。白いのでいいじゃないか、と思うのだが、そんななか、意味不明な外国人の顔や、意味不明な文字が書かれている服を買うリスクというのは実は高いのではないだろうか、と思ったのである。

 外国人が「黄色人種、死ね!」と胸にでかでかと書かれている服を着て歩いたら殺されること間違いなしだろう。しかし、英語で「俺ら白人主義者」とか書かれていてもわからないし、それで偶然、アメリカ人に見られたら、殺害されてしまうのである。

 服を買うだけでロシアンルーレットに参加させられるのである。

 ここで私は、何が衣食住だ、揃っていなければ自殺しなければならない、揃っていても場合によっては殺されるではないか、と絶叫しながら、世界を焼くことにしたのである。

インドカレー屋

 かつて私の家の近くにはインドカレー屋が存在した。

 インドカレー屋といっても正確には「ネパールインドカレー」という多国籍な食べ物であって、店員さんもネパールの人という、何が何やらよくわからない感じになっているが、言ってしまえばナンにカレーをつけて食べるカレー屋さんのことだ。

 インドカレーにハマったきっかけは、というと、筋肉少女帯の「日本印度化計画」という曲があり、「日本を印度にしてしまえ!」という叫びから始まるおもしろ革命ソングと、その作詞をした大槻ケンヂ教祖が、エッセイでやたらと、思い出したようにインドカレー屋に通う描写が見られる。(といっても、最近はあんまり見られないけど)

 どうにも、インドカレー、激辛。これを食べるに辛さで痛みでタリラリラン、脳内麻薬を分泌させていろいろ思いつくというのだから恐ろしい。これは真似せざるを得ない、ということもあり、インドカレー屋を探して市内をぶらついた末に見つけた、静かで、若干いい加減な、いわばベストプレイス。

 というのも、私はうるさい店、ファミリーレストランの老若男女があらゆる場所で思い思いに発する声というものがむちゃくちゃに苦手。幼児の泣き声、それに怒る母、店員さんのあたあたした感じとか、いっぱい頭に入ってきて、しんどいのだ。

 そして、きっちりしすぎる店、これもなんか怖い。この場でもし、誤って気が狂おうもんなら、絞殺、刺殺、撲殺、銃殺、あるいは諸々の殺害手段でもって淡々と黙らされ、明日には産業廃棄物として大阪湾を埋め立てる地となるんじゃないか、と気が気でならず、これもまた恐怖の中飯を食べなければならないが、ここで作法を損なう、あるいは、飯をこぼす、などしたら上記のことがあるのではないか、と味のしない飯を丁寧にすすることになるのである。

 ベストプレイスの店員さんは適当だった。私は配分が下手なのでナンにカレーをちょんちょんして食べているとどうしてもルーが余ってしまう。仕方がないのでルーをスプーンで食べたりするのだが、どういうわけかこの店はカウンター席だろうとフォークはあるのにスプーンが常に存在していない。店員さんに「あの……スプーンないんすけど……」と問うならば、「あー!」みたいな顔で別の席からトレーをそのまま取ってきてスプーンを取るよう促す。絶対にスプーンを足さない。

 フリーWi-Fiを開放していたがIDとパスワードは共に英語と十数桁にも及ぶ数字の初期設定のまま、それを丁寧に書いて貼り出している。結局誰も使うことはなかっただろう。

 客が私しかいなかったら店員さんは携帯の動画サイトでなんか観てる。

 なぜかカレーうどんを始めた。

 他にもいろいろあったが、なにかと愛嬌のある店で、客も少なく、殺されることもなさそうなので完全にのびのびと飯を食べることができた。

 そんな店がある日、潰れたのだ。客が少なかったのだ。確かに別にここでインドカレーをやる必要はないよなぁ、とは思ったが、しかし、もう顔も憶えていない、ネパール人の店員さんと今後会うことは二度と無いのだろう、と思うとなんだか不思議な気持ちだった。

 あの人はどんな気持ちで、どういう理由でこの日本の、京都の、めちゃくちゃ微妙な場所でインドカレーを作っていたのだろう。と、時々思うのだ。

 本人の居らぬ今、それを確かめる術はない。店員さんに顔を覚えられるくらいには通ったのだが、記憶にある会話は、店員さんが夏にふと一言漏らした「あっついですねー」に「そうですねー」って返したくらいである。

 会ったところで話すことは本当になにもないのだが、元気にしていてほしいな、とだけは思っている。

精神が不安定であればいいものが作れるという幻想

  Twitterで見かけただけで、かつ自分の中にも思っていたことでもあったので「本当にそうか?」の再確認みたいな感じで読んで頂ければ。

 

 正直言ってしまえば、メンタルが不安定な状態で「調べたもの」「経験したこと」を頼りになにかできることはあっても、メンタルが不安定そのものが優位に働くことはあんまりないんじゃないか、というのが私の思うことです。

 私自身好きな作家にうつ病の傾向が自然とよく見られることがあり、自身も結局それなのかは診断できませんでしたが、それに近い状態には陥った経験があり、SSRIとか飲みました。マウント。

 その時に感じたことなのですが、そもそも「よくないこと」ばかり考えている、とか「希望を見出せない」というのが鬱状態ならば、そこで「新たに希望を見出す」ために創作とかを行う、それによって「抜け出そうとするちから」みたいなのを感じられてよい、みたいなことだと思うんですけども、別にそれは鬱の状態でなくてもよいのであって、普段から常にアンテナを張って、自分をよりよくすることを考えていれば、自然とそのような創作物は作れるような気がしてくる。

 鬱状態、精神が不安定な状態というのは自分を下げることによってその希望を探す力、みたいなのは強まるかもしれませんが、治ってそれがなくなることに怯えたり、故意に精神を不安定にしてその状態に自分を陥れる必要というのは全くないんじゃないかな。常日頃から自分をよりよくする方法とか、面白い方向を向いていれば、なんかやっぱり「より上に行こうとするちから」みたいなのが感じられて、その状態の方が鬱状態の「自分に対する不安」みたいなのを考える時間が減るぶん、創作的な気がしてくる。

 

知らんけど。

雑感

・特に何かに宛てた話ではない。メモ的なもの。

 

・喜ばしくも19になった。だからといって劇的に変化したわけではない。が、3月という季節の特性なのか、ずっと気分が優れることがない。仕方ない。あと何故か右肩が常に痛い。

 

・絵が描けないぶん、文章がそのうち書けるかもしれない、ということだけ。想像がもっと持続的なものになってきた。積もり積もれば一つの話ができるかもしれないし、できないかもしれない。

 

・創作しなければ、と常に追われている人間の位置に今の私はいない。湧き出るイメージとそれを表現しなくては気がすまないという状態は幸福でもあろうが、苦悩でもあるのだろうな、ということを思う。今の私にそれはない。生きている心地もまた、一段と薄く感じる。創作だけが生きる道とは全くも思わないのだが……。

 

・最近、岩井寛の「森田療法」を読んだ。がんが全身にまわった著者は手も動かせず、目も見えず、それでも喋ることによってこの本は書かれた。ここで苦しみに耐えつつ死を見つめるも、さらなる苦しみの中で口述筆記を行うもできる、となったときに、前者をしたい、苦しみたくないという気持ちをあるがままに後者のより良い、人間としての尊厳を選ぶ、森田療法の”力強さ”がこの一冊を通して伝わってくる、いい本だった。

 

・最近寺山修司にやたらとハマっているのもあって「あしたのジョー」を視聴している。まだ本当に前半の、リングに立つ前までしか見ていないのだが、丹下段平がジョーのパンチに惚れ込みストーキング。野宿をするジョーに、わずかばかりの持ち金と一張羅のコートをかぶせて去り、その後ジョーが暴力団に囲まれたときには身を挺して守り抜き、その後ボクシングに協力的になったジョーが出した「3食昼寝つき 小遣い毎日500円」という無理なお願いを受け入れてついに働き始め、働いている最中は『ジョーは今頃きちんとトレーニングをしてくれていることだろう』と想い(その間ジョーはやんちゃしているのだが)、ジョーがやんちゃして集めた大金を偶然見つけたときには「きっと一緒にボクシングジムを建てようと渡した金を貯金してくれているのだ」と考えるなど、ものすごく「ダメ男と一目惚れした女の子」みたいな構図になっていて面白い。

 

スマブラのメインキャラが未だに定まらない。フォックスでもいいのだが、ただでさえ速い今作で足が速いキャラは目が追いつかないので苦しい……。

 

・どんどん「新しいものを摂取しよう」という気持ちが薄れていることに気がついてなんとかしたい、と思う。例えばゲームにしても新しく覚えよう、という気力が全く湧いてこないし、とにかく何かを始めよう、という気持ちが本当に無いに等しい。自分が覚えるのが非常に遅いということを自覚しすぎていて、恐れすぎているだけなのかもしれない…………言ってしまえば、もう何をするのも怖い。

 

・例えば白紙の紙。例えば読んだことのない著者の本。例えば開封されていないバームクーヘンの箱。たとえば一万円札。選択と可能性があるものについて、触ろう、という気が全く起きない。もう飽きた………………。

 

 

2018年度 総括

 個人的には非常に異動の歳だった。しかたない。男の子の18歳というのは基本的に異動の歳なんであるのだから。

 大学に入学したが、後期は本当に二度三度しか通学することができなかった。これについては明確な原因がいくらかあった。

 ひとつは前期の工程である集団制作のようなものに対して、どうしても人間というものは多数集まると様々な生き様。それぞれに違う18年で肉体を形成したのであるが、私の場合、その中で全員が過ごした18年に対して共通項が非常に少なかったので、どうしても奇人、変人、個性人という見方をされてしまい、見ているむこうのほうは楽しそうなのだけれど、私からすれば非常に苦しいのであって、私も客観で見て回る側に回れれば楽なのだが、奇人、変人という枠組み担ってしまった以上それは叶わぬわけで、じゃあ今更影にこもる、というのもなかなかうまくいかない。結局なんか自分を形成するのに疲弊してしまい、じゃあもうええわ、ということで堕落、惰眠を貪る日々を過ごしたのだった。

 ふたつは、明確な破滅願望に近いもの、言ってしまえばメンヘラというものが非常に悪化、おおあばれ、堕落、明日が私の命日ですわ、の勢いでかろうじての生存をすることにニコニコしていたのであって、エナジードリンクをいっぱい飲んで無駄にいっぱい起きてみたり、無駄にいっぱい寝てみたり、裸足でおさんぽしてみたり、台風の中をランニングしてみたり、エトセトラなどと非常にむちゃくちゃをした。これらが悪化したのが6月、7月だった。おそらく気圧の影響などもあったのだろうと思う。

 みっつめは、とにかく履修が下手くそだったことにある。大学の単位システムは、埋めるコマと空きコマ、というのがあって、好きに授業を取っていいよ、とのことらしい、言ってしまえば知識のバイキング、食べ放題なのであって、賢い人であれば休み時間や生活習慣、のんびりしたい日などをきっちり決めて組むわけなのだが、私の場合本当にやりたい授業だけを入れる、いわゆる、バイキングでサバばっか食う、みたいなことを授業でやってしまったがゆえに、時間割はめちゃくちゃ下手な人のテトリスみたいになってしまったのであって、これでは通学しても5時間くらい暇を潰さなければならない、ということもよくあった。これに関してはもうただ、バカ、アホということ以外になにもない。

 あと単純に学校が遠くて行くのがしんどかったり、他人の視線恐怖症のために遅刻した教室にはいる、という行為ができないということもあった。学業の面ではこれボロボロであって、もうなんか、終わり、みたいなことになってしまったのである。

 あかんのである。なんとかしなければならないのである。しっかり反省をしていきたい思いが強い。

 

 ま、ま、そんなこと置いといて、やっぱ人生、死ぬまでの暇つぶし、趣味、これ学業、労働より大切なのであって、これを楽しむ、つまり人生に厚みが追加される、というわけで、起きて労働、そして寝るみたいな生活では何もなせないまま死んでしまう。でもね、趣味さえあれば人生は豊か、虹色なのだよ、おほほ、ということで、趣味の側面はというと、まあまあよかったんじゃないかな、というふうに思うのである。

 そもそも趣味に該当するのがどのへんなのかがわからないが、とにかく絵に関しては確実に一年前に比べれば爆発的に上手くなっているのであって、例えば以前までは絵を上げてもいいとこいって8いいね、とか、ま、それでも十分ありがたいのだが、今やなんかよくわからんけどめっちゃいいねもらったりしてるわけでして、こっちからしたら何も変わってないような気がするねんけどな。なんで? って感じなのであるのだが、ま、なんかいっぱい色んな人が褒めてくれるので、うれしいな、という感想である。それをきっかけで広がった交友関係もある。ただ、JASRACに目をつけられたら死ぬ。

 ギターは、まあ前よりかは非常にマシ、聞けるくらいにはなってきたんじゃないかな、と自負している。未だにFとか人差し指を押し付けるコードを長いことしてると指が死んでしまうのだが、レパートリーとかはまあまあ増えたのでよしとしたい。アルペジオ奏法なんてのもできるようになってきたしね。これで食っていこうとは考えてないのだが、カラオケ代が浮く上、JOYSOUNDだのDAMだので一喜一憂する必要がなく、最悪どっちにも入ってない曲でもコード表を作ってしまうアプリで作ってしまえばカラオケになってしまうので、これ非常に節約に役立っていて、ありがたいのである。

 読書のほうはまあ、さすがに最近はのんびりになってしまったが、なんか知らんけど20冊強読んだ月があってしまったりしてびっくりしたことがある。まあ、学校をサボりがちになったときなんだけど。ただ、おかげでやっぱり、素敵な言葉とか、いっぱい知ることができて、うれしいな、という気持ちである。

 

 さて、あとは楽しかった出来事である。基本的に前期中期に楽しかった出来事は強いてなかったのであるが、というかもう、アイドルマスターのオタクだった。5thのLVと豊田小旅行もなかなか楽しかった。といってもあそこはなんもなかったのだけど。ただ、仲良さそうな家族を見るとなんだか元気をもらった気分になる。6th行くんかなあいつ。

 あとはその後、ISFで合同誌に参加、初めて紙の上に私の作品をのせていただいたのである。なんでかしらんけど1P目に私のイラスト、最後に私の小説なのである。なんか申し訳ないな、とか思いながら。まあまあの苦節の上に出来上がったのであるが、小説も絵も当時の好きなものがもうふんだんにミックスされている。私の小説や絵は、その時の私のコラージュである。興味の年輪。

 そしてまあ、その後様々な物事があり、そのへんの界隈の方々と邂逅、現実に京都にまで来てもらい会話などをしたことが二度もあった。私ごときに時間を割いていただいてよござんすか、と思うのだが、なんかいいらしく、私もまあ、楽しいので、じゃあええか。ということで。

 これは言葉に置き換える、という作業をしたくない。私はこれらの出来事を言葉にくるめてしまってはよくないな、と思うのである。

 ”切ないことばかりだけど あの日があるから生きていける”

 

 死以外に救済などない、と錯覚し始めていたのはいつからだったろうか、と思った。

 今の私には、エムペドクレスを追うことはできない。

 

 にきさんからは年賀状までも送っていただいた。手帳に挟んでたまに見返したり、というよりかはお守りがわりに持ち歩いている。やっぱり、なんか形がある、アナログなものというものは、その場所に存在していて、質量を持っているので、それが煩わしいときも、とても嬉しいときも、ある。

 はがき一枚ぶんの質量に私は支えられている。

 

 総括するに、学業を放棄して比較的趣味を楽しんだけど、中期に軋轢で苦しみ、後期に希望をいだいた歳だったのではないか、と思う。大学は人生の夏休み、というふうな言葉があるが、私の場合はもう人生をバカンス、ジャマイカガンジャをモクモク、キノコ入りオムライスを「ラージ」と告げてムシャムシャしているのであって、少しのバッドトリップと、少しの悟りを得た。あとはどうするかだけ。

 誕生日まであと数ヶ月あるが、まあ、なんか大きな変化があれば簡単に追記していきたいな。

 

”いま希望を俺は感じているんだ いまひかりを俺は感じているんだ いまあなたを俺は感じているんだ いまひかりを俺は感じているんだ”

――町田町蔵+北澤組『祈り』

ヒステリー

  愛しく、好きな言葉があるように、痛みを持って遅い来る言葉があることを知ったのは、ほんの最近のことだった。

 これまでは特段そのような言葉について強く意識したことはなかった。というよりかは、単純に他人と文言を交わすことがそもそも少なかったから気が付かなかったのかもしれない。

 私は「あなたの言葉はわかりにくい」と思われることを強く恐れていることに気がついたのは、ほんの最近のことだった。

 

 基本的に、人間は理解をされないと、基本的に苦しい。そもそもコミュニケーションというのは双方理解のことであり、例えば早口、滑舌などが悪いとコミュニケーションの場において不利になる。私はその面が自分になかったとは言いきれないが、確かなのは、自分の思考を単語に移すまでのプロセスの間に、やたらと遠回しな表現を使うきらいがある。

 私の言葉は常に霧吹きのように定まらず、風にかき消される。それで的確な伝達がなかなか難しいのだ。

 

 本当に何が違うんかな〜マジで苦しい でも多分、俺の言葉が好きな人はそういうノイズも含めて好きでいてくれるんだろうから ありがたい なんとかいいとこどりのかんじで和を取っていきたい

 あと喋ると偏差値が低いのに書く文章はわりとちゃんとしてるって言われる 多分ちゃんと推敲してるからってのもある 一度指から出ていった言葉を相手が見るまでの間に読み返して取り消せる文章は気が楽ですけど スパッと言葉を的確に選べるようになったら いいな……。

散った桜はまた桜を成す…… スマブラバトルロードFINAL そして、俺たちの凱旋への軌跡。

 一回飛ばしたらオフレポどうやって書き始めてたか完全に忘れてしまった。

 

 前日に起床したのが午後4時でこれはどうなのかな、というふうに思いながらいつものようにお絵かきに精を出そうとしていたところ、作業通話しませんかとのことで複数人でわやわやしながら絵を描いていたら午前の4時になってしまった。アホ。

 勝つ以上に起きる気合もいるぞと思ってお風呂で血行を若干良くして出発。服どうしようかなと思っていたところ10月の寒さを切り抜ける服装というのが本当にスーツ”のような”上着一枚しかなく、「えーっ、じゃあ、ひさびさに」ということで、ほぼほぼユニクロの五億年ぶりのスーツもどきで出発して会場へ。

 ちょっとだけ挨拶をしてなすびさん、とりねさんとフリー。フォックス、こんな足早いんだ〜という、これからまがりにも大会を出場する人間とは思えない意識の低さに少し悲しくなってしまった 一年前の俺が見たらどう思うんだ……。すまん……ただのロコのキモ・オタクになってしまった……。

 その後少しだけ受付。ちょこちょこ知ってる人がいる中、ラブゴリラさんが入場。500円を受け取ったあと挨拶をしたら、髪型や服装が変わってるせいか、しばらく

「…………?」

と、僕の顔を見て必死に思い出そうとしたあとにハッとして

「が×じ!!」

と一言言って名札コーナーに消えていきました。

(ここから終わりまでラブゴリラさんとの会話が帰り際に「また新作で!」というような握手以外ありませんでした)

 

 一旦業務を終えたあとかいデデデさん応援隊のそのへんの界隈の人たちがいっぱいいたところで少し会話をし、harukiさんと少し会話をし、「この間取り書かれてるホワイトボードの真ん中に人って書くの趣味なんですよ〜」という感じの話をし、お互いに人の下に「イス」、honmaniyoMonster1、クッパ姫を描きあってはしゃいだ直後、以下のようなツイートをされてしまった。

 あの私に投げかけられた優しい笑顔の裏でこんなことを思っていたと考えると、涙が止まらなくなります。

 

 午前は特定の人物を崇拝する恐ろしい界隈と談笑したのち、Shogunさんのブロックで見学。 今思い返すとあんまり考えて見てなかったから見る姿勢として微妙だった……。

 そして午後は予選。なんと配信台でした。アーカイブこちらから。

youtu.be

 なんかカメラチェックに呼ばれて楽しそうにしてるアホが僕です。(見返すときつい……)

 

 対戦した順番覚えてないので上から

・れあさん(ゲッコウガ)0-2

崖上がれね〜〜床踏めね〜〜〜〜いて〜〜〜〜〜って泣いてたら殺害されました。あせりにあせって着地全く考えてなかった。

 

・ですもさん(ソニック)1-2

これ最後だった。ですもさんと「対戦したことあった気がするんですけど」みたいな会話したけど今考えると完全に気のせいでスマバト対戦会の3on3で一緒になった感じですね

つえーんだろうな〜と思ったら強くて「つえ〜」と思いながらできるだけ誠実に立ち回ったら殺害されたものの、やっぱり最後なのもあって感覚取り戻せていてパなしなども見せつつ誠実にやったら1ストもぎりとってそのあと死亡。

すごく熱い握手を交わしたその後ハイタッチまでしていただいた。

 

アリカさん(プリン)0-2

対プリンは後隙を狩り続ける感じで……みたいなことは聞いてたのでそれ意識して頑張ったものの、崖、がんばるぞの思いで待ってたらフォックスがプリンの歌で惰眠を貪り、1スト落とす。

そのあとなんとか取り返すぞと思ったら崖外まで投げ出されてファイアフォックス角度が真横になって椅子からひっくり返って「フォックス!!!!お前お前お前お前」ってずっと言ってました。

寝るな

 

イケイケゴリラマンさん(クッパJr.)2-1

ドンキーやろ〜〜〜と思ったらウェンディだった。なんで?

サクマドラさんと少し前にフリーした時に「俺のクッパJr、マジ、最強」みたいな感じで対戦して頂いて、対策をすることができたのでなんとかもぎり取れた。

 

かるぴすさん(ルイージ)0-2

フリーでボコボコのボコにされたからやべ〜と思ってた

1スト目は殴り殺された末崖外で下B、2スト目は殴り殺されつつ下スマの後ろ側でバースト おおあばれされた感じ

 

すらすらさん(ベヨネッタ)2-1

マジで何使ってくるかわからなかった ベヨネッタ……

苦戦しつつも後半あらゆるスマッシュを振り回しながら相手の崖上がりの無敵が切れたのに下スマッシュを当てて撃墜。きたないフォックスになってしまった。

 

まどろみさん(ブラックピット)2-1

ブラックピット、わかんね〜〜と思いつつもキビキビと動き、そして何度も空上で稼ぐべきポイントを見逃しながら台上上強から撃墜 デンショッカー当たらなかったの本当によかった。

 

結果6位。予選落ちたけどやっぱ楽しかったね〜といった感じ。

 

 

 ――予選が終わった後、僕はこの場にいない1人の少年のことを思い出した。

 一応9月のスマバトには来ていたらしいけど僕がお金が無くて行けなかったために会えなかった一人の少年を。

 一度、予選で当たった後、何度もの馬鹿笑いをともにしたあの少年を。

 「またスマバトで山吹くんと馬鹿笑いしてえよ」と、僕のほうが圧倒的に歳上なのにもかかわらずくん付けで呼んだあの少年を。

 そして叶わなかったその夢を。

 僕はノリを「わかってくれそう」なかるぴすさんに声をかけ、配信台でその少年に宛てたキーコンフィグを使い、そして、選んだ。

 ……スペシャル乱闘、『でかい乱闘』を!

 

 

 

・・・

 

 

 

 

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 ――――Volpe、新作でも、配信台を荒らそうぜ。

 

 

 本戦はくさりかたびらかぁびすなどを観戦した後、ひるねしたら「B始まるで」ってほにやさんに声をかけていただき、Bに参戦。

 よっしゃ、切り替えて、がんばるぞの気持ちでBに挑む。

スマバトU Final Bクラストーナメント4 - Challonge

チャロン・ジ

 

なはとんさん(フォックス) 0-2

ピシュン!トリャー!テイ!テイ!ボガ!バキ!ドンドンドン!ボゴッ!バババババ!グワー!

 

 進行へ。D3さんとルリさんでルリさんがチコでおおあばれしてD3さんが「うますぎ!??」って言ってたのがちょっとおもしろかった。

 

 そのあとHIKARUドンキーの動きにハラハラしながらShogunさんの試合を観戦したり、ほにやさんの代役としてお好み焼きを食したりなどをし、その間にスタッフの撮影、参加者の撮影があったことを今から帰る組に教えられて涙が止まらなくなりました。

 こうして徐々に消滅していく 俺の肖像

 

 トホホに暮れていたところ、逆に最後のスマバトでついに予選を上がれたぺどろくんに「今から帰る?」「最後に対戦して決着を付けよう」と言われる。

 「やろう」そう言って僕はフリー台を探した。

 どこも埋まっていたり、WiiUが持ち帰られていたりと、今すぐに対戦できる台は見渡すかぎりには見つからなかった。

 しかし、ひとつ。

 僕たちを照らす北極星のように、輝く台がひとつだけあった。

 勝ち抜きしものだけが座れる場所。

 誰もが夢を見る場所。

 世界のいくつもの熱狂を生み出した場所。

 それは未来に向かう凱旋を始めた僕たちを呼ぶように、そこに存在していた。

 僕たちはふたつの椅子に座った。グータッチとじゃんけん。最初に勝ったのは僕だった

「終点で」

 終点。そのステージのテーマはひとつの終わり、そして始まり。それが永劫回帰のように森羅万象をめぐる。

 Aボタンを押した。一勝したのは僕だった。

 握手のあと、念のため立ち上がって後ろを見た。

 交代はなかった。2戦目が始まる。

「じゃあ戦場で」

 次も僕が勝った。また握手をして、僕の勝利により終止符は打たれたはずだった。

「もう1戦やろう」

 そう言ったのはどちらだったか、今は覚えていない。だが、そんなことは些細な問題である。もう一度だけ、対戦の道を歩んだ。

 僕は、負けた。

 僕は、ネスにカーソルを動かした。

 フォックスを諦めた気持ちになったわけではない。

 もちろん、このキャラから教わったいくつのことも、今全く関係ない趣味の中で、上達するための道をしるすサーチライトになってくれたと思う。

 しかし、どうしても、湧き上がるひとつの気持ちがあった。

「そっちのほうが勝率低くない?」

「まあまあ」

 ここで出会った、会話した人々と出会ったスマバトという場所で、全てを巡り合わせてくれたネスというキャラクターは、ここスマブラ・バトルロードの果には存在しなかったかもしれない。

 それでも、今こうして別の趣味にのめり込んだ理由には、ある一人のネス使いの肖像がある。

 過去の僕についてはわからない。けど、今の僕が生まれた理由の中に、このスマバトという場所があった。

 8月だったから暑かったのだろう。道に迷うなかネス使いのゆうひさんがいたためになんとかたどりつけた会場。(うーん、おそらくこっち!w って指さした方向が真逆だったから本当に助かった)

 そして、この会場で交わした会話。教わったこと。

 馬鹿笑い。悲しい涙。嬉し涙。

 華を散らした人。枯らした人。それでも、その一輪を抱き続ける人。

 顔も忘れた人。

 その人たちの肖像がいくつも詰まったこの場所で、ネスをもう一度動かしたかった。

 最後のステージはすま村だった。「GO!」のコールを、僕はあと何回聞くのだろう、と思った。

 

 なんかめっちゃネス足遅くて技も全然当たらなくて負けました。やっぱり、しんどい……。

 2勝2敗ということで続きはまた次回作!ということでぺどろくんと別れたあと、少しだけくきさんとちるちるさんとフリー。本当の最後はネスゼルダでした。なんやねん上の長ったらしい文は。

 そしてちょっとお片付けお手伝いして(その間ずっとスマブラのBGM流れてたのエモかった)、かみったさんと駅まで話して帰宅。

 久々に笑ったり会話したりしたからすごい表情筋が痛くてビビった。

 

 というわけでスマバトFINALでした。懐かしい人が来ていたりすいのこさんがハンバーガー被ってたりゼルダとかオリマー居たりもしたのですが、個人的に思い出に残すというよりかは思い出を追憶するような感じの気分になりました。

 そんなこともあって今回の名札も描かせていただきました。

 けっこう色んな人に「面白い」「最高でした」とか言ってもらえて嬉しかった。個人的にけっこう分かる人にとっては「エモい」ものに仕上がってくれたんじゃないかな、とは思います。

 

 それでは、運が良ければ、また次回作で会いましょう。