サイド・ロード

いつでも戻れるようにパンを撒いてゴー

もちかたくんと右手一家

 「もちかたくん」を購入した。下手すれば私の将来の字の美しさをゴロリと変えてしまう存在かもしれないので、気安く「くん」なんか呼ばずに「様」と呼ばせていただこう。もちかた様のお話をひとつしたいと思う。

 この日本で「もちかた様」を買う理由というのは決まって二つしかない。一つは、子供にペンの持ち方をうまくなってほしいと願う母の愛ゆえのもの、もう一つは、「ペンタブのグリップにしたら便利そうだな」というさほど考えてないものである。

もちろん私は後者である。帰ってさっそくペンタブにグリグリと刺しては岡本太郎の作品かと見紛うほどの前衛的なペンタブのペンが完成したのであった。(別にそんなことはない)

 さてもちかた様の効力やいかにとペンタブにシャラシャラシャと線を引くと驚き。すっごい長い線が引けるのだ。

僕の絵を一度でも見たことある人なら分かると思うのだが、僕の描き方というのは短い線をシャカシャカシャカシャカ描いてかなり抽象的な線画という恐ろしい矛盾の塊を生み出し、そこにペタペタペタと濃い水彩ペンで色を置いてそれっぽく見せかける、という技法を用いている。グリザイユ画法だのなんだのあるみたいに、名前をつけるならば「あんま上手くないし上達しない人技法」であろうか。

とにかく、もしかしたらそんな僕の技法ですら打ち換えてしまうほどの効力をもちかた様から感じたところで、

「さあどんな美しい少女だろうとサッサッサで描いてみせるぞ」

と意気込んではみたものの、どうも前よりも出来が悪い。これはなぜだと思って一気にキャンバスを小さくしてみたところ、どうやら昔の持ち方が原因で円が斜めの楕円になっているのである。すごく驚いた。正しい持ち方にしたら、おかしくなったのである。

 僕の従来の持ち方は親指が強く上に突き出た「にぎり持ち」というものであった。

親指の根本近くを中心に人差し指、中指を使って上下、そして手首で左右といった持ち方である。僕のような現代のゲームスマートフォンパソコンに支配された世代の人間はだいたいは非常に狭い僕の見た範囲ではとても多く感じる。

 案外みんな紙に書かないのだ。基本スマートフォンでいいわけだから、親指、「おとうさんゆび」は徐々に精密を極め、その鍛えられた遅筋速筋はペンの上では力を持て余して、

「どうだ、俺はおまえらみたいに働かねえやつらと違ってな、精密に文字を打つことができるんだぞ、どうだ、どうだ」

といばりちらしている。人差し指「おかあさんゆび」、中指「おにいさんゆび」はそれに逆らうことができず、チョコチョコと懸命に働くのである。

そうすると、薬指「おねえさんゆび」そして小指「あかちゃんゆび」は地面にギューと押し付けられることになる。

一家崩壊である。ガタガタガタ。手首「地盤」はそれを支えきれず、苦しみにゆれる。未来あやういこの一家に救世主が現れた。その名ももちかた様。彼が来たからには、持ち方は矯正され、おとうさんはおかあさん、おにいさんと仲直りをして、あかちゃんとおねえさんはつぶされることもなくなった。そのうちに手首のゆれも収まって、一家団欒、幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたしである。

 しかしこううまくいってくれればいいのだが、私の右手一家はそうとうおとうさんがいばりちらしていたらしく、一家どころか国家すら転覆してしまうほどのガタガタぶりであった。

 これを鎮めるには非常に時間がかかると思われる。しかし、頑張るしかないのだ。一家団欒のためにも、平和のためにも!