サイド・ロード

相も変わらずしみったれ

例のアレのあとがきのようなものと・・・略 2

 SS書きたいってずっと思ってるけどついに何も出てこなくなったので、相変わらずあとがき的ななにかを書いてあとを濁そうと思います。マジで絵がぽんぽん出てくる代わりに作文はどんどんできなくなっていく。シーソーみたいにぎっこんばったんしつつやりたいですね。前回はこれ

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こいつの文章きしょくわり〜

 

「夢も未だ半ばに至らず」/「山吹」の小説 [pixiv]

 

 マジで急いで作ったので・・・その・・・あの・・・力が及ばなかったってやつっす。はい。タイトルはすごく好きだけど。

 物語が漠然としすぎなうえ、終わらせた物語を無理やり引き延ばした。でもまあ悪くはないでしょう。いや悪いぞ。うーん、内容についても触れたかったけど読み返す気力もあまりないです。

 

「小さな愛が溢れたら」/「山吹」の小説 [pixiv]

 

 こっちはpeingでお褒めの言葉をいただいたので、きっと素晴らしい作品だと思います。モンエナ3本飲んで書きました。これ投稿直後ばたん!っと寝て起きたらミリオンライブ終わっちゃって「そっかー。」ってなりました。だから文章力については本当に低いと思います。

 タイトルはNona Reevesの「Gimme Gimme」のワンフレーズ「ダンスフロアに愛が溢れたら」。好きな曲です。

 

[R-18]「オレンジの光」/「山吹」の小説 [pixiv]

 

 本当になんで書いたのかわからないやつです。しかもちゃんと原稿用紙に書いて打ち直したので、これだけ”草稿があります。”

 ペンを握るとろくなことがない。タイトルはクリープハイプの「オレンジ」から。あっちは朝日か夕日かですけどこっちは多分タバコの光です。性癖がバレる。

 

「きょうの日」/「山吹」の小説 [pixiv]

 

 このへんはもう手から流れ出るままに打ち散らしたのでなんもありません。この主人公が死のうが死ぬまいが僕の手から離れたのでもう知らない、ってのは氏賀Y太さんが時間停止モノで「こいつは最後に時よ動き出せって言ってるけど、動いたかどうかわかりませんw」みたいなこと言ってて「なるほどな〜〜〜〜〜」って思ったので。うるせーしらねーファイナルファンタジー。物語は発表した時点で書いた人の手から離れるものだ、みたいなことを中島らもさんも言っていた。

 

「ブルーブラックのきらめき」/「山吹」の小説 [pixiv]

 

 正直、もっと詳細を書けたなーって点はものすごく悔しい。絶対もっと書けたんだけど、まあ読み手には伝わってるのかハートがいくつもついていた。でもやっぱ悔しいもんは悔しい。

 タイトルを書いた時点で色にフェチがあるのかもしれないな、と思った。

 ブルーブラックが灰色になるのはプラチナ万年筆のやつだけらしい。というのが最近知ったこと。でもまあ、いいじゃありませんか。

 これの源流にはおそらくクジラックスさんの「ろりとぼくらの」収録、「ふくしのだいがく・・・?」の有名なコマのあるアレ(ちょっと手元にないので確認できないけれど)がある。本当に面白かったので、エロ漫画という色眼鏡を外して読んでみてほしい。

追記:“らぶいずぶらいんど”という作品でした。

 

「空が晴れた日」/「山吹」の小説 [pixiv]

 

 タイトルが下手くそなのである。

 正直、内容もまあ今の僕ならこの程度ですよ、へいへいへいなんであるけれど、

 とにかく、タイトルが本当に下手くそなのである。

 なにも伝わってこないのである。

 だからどうした、って感じなのである。

 文章を書くときによく軽く音楽を流しながらってのはよくやるんですけれど、これの仮タイトル「球体関節人形の追憶」を突然、偶然に特撮の「霧が晴れたら」が流れたからって変えちゃったのである。

 あーん。やらかしちゃったって感じである。

 今変えられるならぜひ変えたいところなのだが、なんかかっこわるいから嫌なのである。感情論に支配されているのである。

 まあでも、しゃあないのである。これでいーのだ。

 内容の話は、まあなんか一箇所盛大なミスやらかしてるのこないだみっけたけど程よい感じだし、なによりまあやる気だけは認めたるわ。ふん。ってちょっと前の自分に言える程度の作品ではあるので、とりあえず反省点だけまとめて次回に繋げたいなーと思っています。

 

 さて、最近絵ばっか描いててこっちのほうなんもできてないからなんかしたいけれど、まあなんもできてない。したくなったときにまたやろうと思います。ここで無理するのもまた一興かもしれぬな、と思ったらそうすると思います。そんな感じで、付かず離れずで。

 

追記

 これは歩いてたら思いついたことだ。メモがわりにここに記したいと思う。最初、僕の中で絵と文は対局したシーソーのようだ、と言った。改めて考えた結果、これは片方が勝手に増えたり勝手に減ったりして、いわば「重くなって偏ってる」わけである。彼らは対局していない、元からひとつのもので寄って離れてるだけだ。

しかし

しかし、だ。

お互いが本当に相互に援助しあった場合に、本来のシーソーのように、ぎっこんばったんと傾きを見せてくれるのではないだろうか。絵をバネに文を書き、文をバネに絵を描くのだ。

これらは別されていると思うから離れてただけだ。引き合い離れ合い、エネルギーを生むことだってできるはずだ

そう思った。やれることをやろうと思う。