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相も変わらずしみったれ

一週間に最低一回適当になんか書く:すけべ漫画の話

 最近文章を書かないとどんどん下手くそになるというか、長文を書く体力がどんどん落ちるということに気づいたので、これからまあ週に最低でも一回くらいはブログ更新できたらいいなーって思う。新しいノーパソのキーボードにも早く慣れないと結構まずい。

 最初一回目なので少し奇をてらってすけべ漫画の話をざっと。

 僕は18の誕生日当日になった瞬間にずっと暖めていたR-18小説をpixivに投稿したりと、なかなか素晴らしい趣味と才能を持った人間なので、誕生日二日後には「好きで好きで、すきで」という岡田コウ氏の兄妹、ロリ系のすけべ漫画と中島らも町田康井上陽水のCDを抱いて購入。そして、僕はこの作品に多大なる衝撃を受けた。

 これは短編集なのだけれど、その中の一作品「浮空」は兄と妹、兄弟という「前提」によって阻害される恋愛感情の描写が面白い。帰省した主人公に中学生の妹は恋慕の感情を抱いているが、兄と母の間に「結婚」という単語が飛び交う。彼女は久々に帰ってきた兄に「自分の歳」や「結婚」「血縁」その他によってこれ以上甘えられなくなることに対して徐々に堪えられなくなり、「母親が付き合っている人が触ってくる」「このままだと取り返しがつかないことになる」「せめて初めては…」という導入のあと、まあいろんなことが起こる。そしてしばらくして、母にそういう人がいるかどうか、という話題を振るが、「そんな人はいない」と返ってくる。妹の嘘がはっきりした今、自分が妹を望んでいて、そして妹も自分を望んでいた。それが家を出た理由だったということを再び思い出し、果たせなかった恋を、やりきれなさを残し、兄が去ることで物語が終わる。

 何で読んだかははっきり覚えてないが、「片思いというのは恋愛感情の矢印がその人物の方向を向いていることで、両思いはそれがお互いに向き合っている状態。なので両思いとは言っても相互的な片思いにしかすぎないのだ」みたいな言葉がある。これはその「両思い」の間に一枚「血縁」という厚いガラスによって隔離されていて、その二人は見つめ合っていても、触れ合うことはできない。それが理由で、兄は矢印をブレさせざるをえないということになった。

 だが、このガラスの壁を曖昧にしたのが妹の「嘘」、ということになる。それによって兄妹は触れ合うが、兄はそのガラスを再び認識する。いわばそれは思うがゆえに存在する壁である。中島らもの「こどもの一生」における「山田のおじさん」に近い(ほんまか?)。それはあると思えばある壁で、ないと思えばない壁である。それは世間であったり、心の中に生まれた自分の生んだ客観性に近いものである。そんな後付けの壁によって、この二人が巡り会うことはもうおそらくない、と思うと少し哀しくなるし、それを一時的とはいえ撤廃させるほどのエネルギーをもつ「恋愛感情」って素晴らしいなぁって思った。

 正直言って、今の僕が何かに恋をしている、とはさほど思っていないし、過去にもそれに似たような感情はいくつか内に湧いてはいたが、エネルギー以上に自尊心が理由に果たせないことが多かった。たった一度だけその矢印を向けられる側に回ったことはあったが、その矢の力強さのあまりに心が折れたこともあった。アンジーの「でくのぼう」に近いものが自分にはある。なんにせよ、世間や客観性果ては自我についても幻想に近い。身も恥も捨てる勢いで何にでも飛び込むこと、これこそすれば一時的かもしれないが成功は掴めるんじゃないか、と僕は思う。

 

うーん、適当な文章なのになんか堅くなってしまったし、あんまり読んで気持ちのいい文章にならなかった…次書くときは気をつけます。