サイド・ロード

立入禁止のたのしいほうへ

手段と目的

 「オーケンののほほん日記ソリッド」をちょっと前に読んだときに、気になった言葉があった。オーケンの言葉の部分だけ覚えていて、正確に把握しているわけでもなく、さらにこの本の目次は「199X年 春」とかそんなんばっかなので探すとなると完全な再読となる。さすがにもうちょっと置いてから再読させてほしいので、とりあえずメモを挟んで本は仕舞った。

 「創作の方法、それすなわち文や絵において、それが「目的」であるか「手段」であるか」みたいなことで、オーケンは「前者だったら素晴らしいけど、僕にとって音楽は後者だなぁ」みたいなことを言っていたように記憶している。

 僕自身もこうして文章を書いたりたまに絵を描いたりしているのはまあいわば完全に手段だなぁ、と思った。「まあなんでもできたら便利だよな」って思考でやってる。実際あんま困らないけど、どっちも自分より圧倒的に上手い人ばかりで打ちひしがれそうになる。それは当たり前なのだけれど…。

 絵はきちんと描こうと思ってからそれなりに経っているような気がする。多分、もうすぐ一年になる。そもそも「とりあえずやってみた」の精神が根にあるせいで、「まあこれで伝わることには伝わるだろう」ってところで切り上げてアップロードしてしまう。正直これが正しいとはあまり思っていないし、それだと非常に記号の羅列に近い状態になる。おこだわりが欲しいなぁと思う日々。いやきちんと描こうってまだ思ってないのかもしれない。「とりあえず描こう」で立ち止まってるかもしれない。ぐぬぬ難しいぞ絵は。永久のバトル・ロード。自分とのバトル・ロード。

 文章はブログというか、なんかある程度まとまって書きとめるのを始めたのは小6とかだったような気がする。タイピング速度が比較的安定している理由もそれなのかもしれない。単語を綴るのはめちゃくちゃ楽しいけど、それに物語を加えて思考することが非常に苦手。次々に書きたいことが浮かんできた場合に、それをうまいこと今書いているものの中に包み込む技術を持てばもっとなんかこう、うまくいくんじゃないか?とは思ってるので、次なんか書くときに意識したいところ。実際一つの事柄についてうじうじ突っつき回してるだけの短い文章がいっぱいできているだけなのが現実なので。

 音楽はできない。コードもG、C、Dとかそんな感じの基本的なものはできるので一応やろうと思えばできるんだろうけれど、音感がないので基本的にコードがぶれている。ボーカルと作詞くらいだったらちょっとやりたいけど知り合いにそういうひとは一人もいないので致し方なし

 あと最近わかったこと。どうやら僕は一回触れてしまえばなんかしばらくエンジンがかかるらしい。絵を描いたら「ついでに」「もったいないし」で絵を続けて作ったりする。文章も然り。なんかそういう「ノリ」みたいなところはかなり強い。これをうまいこと操縦できれば結構便利かもしれないなぁと思った。

 結構脱線したような気がするけどまあそれも仕方なし。別のページでまんが道の映画(これも詳細は忘れた)だったかの話をしていたときの一言も刺さった。

「『俺にはマンガしかない』とわかりつつ登場人物は皆悩む。結局どう生きてても人は悩むのだね」

 この「ソリッド」の頃の大槻ケンヂうつ病にかかっていたので、それも含めてどうして響かない理由があろうかって感じだった。悩みや葛藤、それがある前提のうえで進歩進化があったのかもしれないなぁと思うと、まあ程よい悩みだったら思いっきり立ち向かってみたいなぁと思う。バトル・ロード。

 

締めくくったような終わり方だけど何も締めれてない…