サイド・ロード

いつでも戻れるようにパンを撒いてゴー

おとといの日記。

 たしかろくな睡眠をしなかった記憶がある。それの理由というのは、前日にしばらく片道で興味のあった人と通話をする機会に恵まれて、幸福の絶頂にいたためである。

 寝て覚めた次の日はどうしても憂鬱だった。前この気持ちになったのはおそらく3/25。これはある同人誌即売会に仲のいい知り合い数人で出かけたとき以来だった。僕はどうにも、幸福をうけた後はなぜか日常をそれ以下の、平凡と感じてしまうところがある。バカなやつだ。とにかく僕は不思議な自失願望に苛まれた。部屋の中には多くの本と漫画と音楽と、そしてなによりも巨大な孤独があった。

「ちょっと遠くへ行こう」

 不思議とそう思った僕は先日あまりに遅すぎる入学祝いとお年玉ということでいただいた一万円とウォークマンと文庫本だけをポケットに突っ込んで、家を出た。服は適当に祖母がその日くれたシャツを着た。スマートフォンは置いていった。

 

「どのへんがいいだろうか」

 最寄り駅の乗り換え表を見る。できるだけ京都駅には近寄りたくなかった。人が多すぎるところには行きたくなかった。乗り換えをせずに、かつ、まあそれなりにのんびりとできそうで、僕の顔なんぞ誰も知らないだろう場所へ。

「亀岡にしよう」

 勝手に何もないなんて思っちゃあ悪いだろう、とは思うのだが、いい感じに何もなさそうなところに決めた。

 電車の中で文庫本…本当になんで借りたかわからないけど…ファーブル昆虫記を読む。フンコロガシをまるで一人の労働者で、妻帯者で、聖なる虫で、くそむしで、という感じにいろんな視点から見る子供のような無邪気さが面白かった。(結局これは読み切らないまま返してしまった)

 

 亀岡は広かった。僕は駅を出ると、のろのろと警察の目でも避けるかのように裏道を選んで歩いた。歩くだけ歩いた。とても花が咲いていた。ここらへんの人はガーデニングで自己表現をするのか、と思った。町田康を聴きながらぼうっと歩く。特に何もない用水路を覗き込んだりしつつ。

 そしてテナント募集の空き地の鉄格子に傘がかかっていて、それが骨だけを残して風化しているのを見て、「傘の白骨化死体だ」と思ってげらげら笑ったり、工事現場の自販機の真横に廃品回収からだれかが勝手に持ってきたであろう真っ赤なソファが置いてあって、そこで日光を浴びたりなどと、あまり意味のない時間を過ごしながらも歩いた。

 やがてビニールハウスが見えてきた。僕はなんだか楽しくなった。わけわからん農道を歩いていると、手押し車の猫の下で、日光を避けるように、プラスチックのチープな首輪をつけた猫が寝ていた。僕はコンクリートを数度手のひらで叩いた。すると猫は起き上がって僕に寄ってきた。体をすりつけてきた。おそらく、ここを通った多くの人にも同じことをしているんだろうと思う。僕はあいにく餌をもっていなかったので、せめて撫でようとしたが、すっごくベタベタしてたのでやめた。そんなわけで、すわりこんでぼーっとしながら、小さな声で歌を歌った。

「猫のリンナ」大槻ケンヂ「あのさぁ」大槻ケンヂ「Guru」大槻ケンヂ「サボテンとバントライン」大槻ケンヂ

 二曲目くらいまではちゃんと聴いてくれたが、三曲目になると、僕が大槻ケンヂ以外歌わないことがはっきりしたらしく、寄せ集められた枯れ草の上にどかっ、と座ってやがて寝てしまった。僕は寝てしまった猫をぼーっと見ていた。

 猫はノミでも住まわせているのかしきりに体をかきむしる。僕はそれをただのんびり見る。テントウムシが枯れ草のうちを歩き回っているのを見る。僕は、これはどこまで意識してやっているんだろう、と思った。こうして考えることすべて、僕の意識というものは幻想に過ぎず、ただ自分の筋肉の反射のみで生きている、と錯覚しているんじゃないか、と思った。

 難しいなぁ、わからないなぁ、と思った。そろそろ別れを告げよう、と思って猫の鼻を触ると、手を甘噛みされる。僕は少し笑って立ち上がった。そうすると、猫は「あれっ」とでも言いたげに僕に顔を向けた。僕は「またくるかわかんないけど、ありがとう」と思った。微笑んで手を振った。すると猫は、耳をぴこぴこと小さく二度振った。

 僕は、あれは無意識下なんかじゃない、と思った。さっきの理論がもっとわからなくなった。わからないまま歩いていたら大通りに出た。本屋があった。何でも揃う、とでかでかと書いてある。本当かよと思って店に入った。僕はとりあえず中島らもを探した。「ロカ」があって驚いて、すぐに買った。「俺のフォーク!」という変なCDと、町田康を買ってその店を出た。

 袋に本をぶらぶらさせながら、中島らもの「その日の天使」という話を思い返していた。

 この話は、「一人の人間の一日には、必ずその日の天使がいる。それはさまざまな容姿をもって現れる。これは心技体絶好調のときには人には見えない。だが、絶望的な気分になっているときに、この天使が一日に一人だけ、さしつかわされている。こんなことはないだろうか。自殺したい気持ちになっていたら、とんでもない知人から電話がかかってきたり、ふと開いた画集の絵によって救われるようなことが。」

 僕はあーなるほど、じゃあさっきの猫とテントウムシは僕の今日の天使だったんだ、と思って歩いた。やがてバス停を見つけた。全然こないので、ロカを読む。電子書籍で一度読んだけど、やっぱりこうして質量を持つと「かさばる」という楽しみができる。そんなことでニコニコしながらバスを待つ。全然こない。着くまでには結構進んだ。

 バスで迷った道を引き返していく。本当にめちゃくちゃな道を歩いたんだろう。かなり歩いたと気分的には思ったわりに、二駅程度しか歩いていなかった。このバスは僕一人と運転手しか乗っていなかった。なんかとても恥ずかしかった。

 そうこうして亀岡駅に到着した。亀岡駅の右手側にはインドカレー屋がある。パクパク食べる。ナンがとてもモチモチしていて美味しい。楽しんでいるとインド人の店員のお兄さんが「ナンオカワリできますヨ」とのこと。とりあえず一枚お願いしたあとに気がついた。おもいっきりオーダー可能時間を過ぎているのである。このお兄さんももしかしたら天使なのかもしれない。モチモチのナンをありがたやといただいて、腹を膨らませて電車に乗った。

 電車は京都駅に向かう人たちで一気に混雑した。僕は簡単に、また憂鬱になった。京都市を呪いながら電車を降りた。どこかに頭をおもいっきりぶつけたくなった。安全ピンで唇を貫通させてみたくなった。とにかくそんな思いでスーパーを巡ってみるも、安全ピンがどこに置いてるのかさっぱりわかんなくて普通に困りながら出た。家まで歩くことにした。もう完全に見慣れた景色だった。十年前以前からある退屈。どんどん落ち込んでいくテンション。刺したイヤホンから流れる町田康の「メシ喰うな」。ポケットに寂しい手を突っ込んで歩いた。俺の存在を頭から否定してくれ。くおお。

「………」

 そのへんを歩いていた老婆がすれ違い側に何かを言おうとしていることに気がつき、イヤホンを耳から引っこ抜く。町田康が遠ざかる。

「そのシャツ、ええですねぇ。」

 おばあちゃんが物置の隅から引っ張り出して僕にくれた叔父の服が、見知らぬおばあちゃんに好評を頂いた。

 僕はなんどか会釈しながら「ありがとうございます」とだけいって別れた後、じわじわとまた、楽しくなった。きっとあれも、天使だったのかもしれない。一日に一人だけの天使に二人も会ってしまった。そして僕は家に帰って洗濯機にそのシャツを突っ込んで、泥のように眠った。

 次の日の朝、日常に成り下がった部屋で「ロカ」を読了した。あとがきの大槻ケンヂがピックアップした一言が、ものすごく自分の心に響いて、少し泣いた。

『人間にはみな「役割」がある。その役割がすまぬうちは人間は殺しても死なない、逆に役割の終わった人間は不条理のうちに死んでいく』

 僕は、まだまだやることはいくらでもあるから、とうぶんは生きていよう、と思った。