サイド・ロード

いつでも戻れるようにパンを撒いてゴー

今私の願い事が叶うならば

 中島らもの「砂をつかんで立ち上がれ」を読んでいる。おそらく時系列的に言えば「水に似た感情」のあと、著者がだいたい躁鬱を抜け出したくらいの時期のエッセイだろうか。その中の「故宮博物院に遊ぶ」というコラムの一文にこうあった。

「覇者には共通のパターンがある。天下を平定すると、まず王様は色気と食い気に走る。酒池肉林の毎日に身を置く。そうして最終的に王様が求めるもおは不老長寿の薬だ。これはもう決まりきったパターンで、中国の皇帝もネロもヘリオガバルスもみんなやっている。これのおかげでマルコ・ポーロみたいな人物が現れることになる。おかげで交易が開ける。一方で王様は不老長寿の薬として”水銀”を呑ませられるような破目になって衰弱していく。そんな具合だ」

 これのテーマとしてあげられたのは「皇帝の幼児性」であるが、まあそれはそれとして、これを読んで思ったのが「自分が多大なる権力と財力を手にした場合、何をするだろうか」ということ。

  ・・・

 ある日の昼時、夜更かしから目を覚ます。カーテンの隙間からは陽光が差しこみ、寝床の周りには昨日脱ぎ捨てた服、読みかけの文庫本、買ったまま放置してある雑誌、ビニール袋、使い方のわからない目覚まし、たたむ手間を惜しんだが故にしわくちゃになったシャツ、ウォークマン、ゴミ箱、空のペットボトル、半分入ったまま忘れているペットボトル、1000円で買ったアンプ、3000円で買ったエレキ、4000円で買ったギタレレ、ずっとどこにおいたか忘れていた教科書、しわくちゃのプリント、などなど。

 左手を漂わせてメガネを探す。視界がくっきりとした線をもつ。寝る前にコーラを飲んだせいで歯垢でごわごわした歯を舌で撫でつつ、スマートフォンの電源をつける。

「5000兆円が当選しました!」

「?」

 窓に影ができる。わずかに部屋が暗くなった。窓をこじ開けると、太陽を背に札束がこちらに向かって進んでくる。

 ぽかんとそれを見ていると、部屋のそれらを下敷きにするように、大量の福沢諭吉がなだれ込む。

 ・・・

 妙に現実性のない話ではあるが、仮にこういう事があったとしてどうしようか、とは思う。僕は「まあそれなりにアクセスが良くてある程度いろんなところに行けるような場所」に「寂しくない程度の広さ」の部屋を構えて、本棚持って引っ越したい。それで、僕が一方的に好きな人……有名、無名を問わず……にたまに来てくれるようにお願いして、週一くらいで適当にゆるゆる話したい。服は丈夫であればいいし、靴も土木工事の安全靴でいい。それを2セットほど。あとはまぁ、その好きな人たちのやりたいこととかを適当に叶えることにお金を使いたい。

 結構たいしたことないといえばそうなるのだけれど、人生半ばまで走ったかさえあやしい人間の想像力といえばそういうものなのかもしれない。大槻ケンヂは若い頃に「熱中症で倒れている外国人を救ったらアラブの石油王で、子供がいないからと遺産を渡すことを約束する」ということを考えては「ラジカセとかビデオデッキとかが買える」と考えていたこともあったらしい。僕の場合そういった確固としたものですらない。

 現状は色気に関しては別にどうといったことはない。こういうことを言うと絶食系とかパラノイアとかいう分類に所属してしまうのかもしれないけれど、結局自分の理想系は自分の中にしかなく、また自分でしか表現できない。だから自分で描くのが一番いい。

 ……可能なら、一回らもさんと話してみたい。と思うと、定期的に恐山のイタコさんにも来てもらう必要がありそう。