サイド・ロード

いつでも戻れるようにパンを撒いてゴー

ロコ語について考えたこと

 LVのために豊田に移動、そして帰る最中にずっと読んでいたのが、小説版の「メタルギアソリッド ファントムペイン」なのだけれど、この作品の中には「スカルフェイス」というキャラクターが出てくる。この男はまあ言ってしまえば悪役で、過去に小さな村で生まれ、そして外国の兵に戦争が起こるたびにあらゆる言語の使用を強制された過去を持つ。

”「言葉とは奇妙だ。言葉が変わると、わたしも変わった。性格、考え方、善と悪の概念さえ変わる。戦争によってこんなにも変貌させられた外見よりも深く、言葉は人を変え、殺す。わたしは言葉に支配され、言葉はわたしに寄生した。」”

 とまあこのへんを読んだあたりで夜行バスが消灯して、僕は本を閉じるはめになったわけで、その一文だけがずっと頭の中にうかんで離れない。暗闇の中薄く目を開けて、適当に買った3rdのグリマス現物報酬のボイスドラマをぼやーっと聴いていると、百合子が食事の感想を述べるシーンで、語彙の話が出ていて、少しうむ、と思った。

 個人的に言語というのは詩を除いて、その範囲でしか表現できない風船のなかに空気のようにふわついているいくつもの感情を閉じ込める行為でしかなくて、語彙を増やすことによってその風船を強化したり数を増やすことは可能であっても、一つ間違えれば破滅に繋がりそしてなにより、様々な感情の入り混じった混沌を数文字程度の単語に収めることによって、その混沌は読んでいる側には伝わらないという最悪の事態が起きる。まあそんなことが言語にはあるのだ。

 結局暇になったのでロコが顔を出した。ロコはなんでロコ語を話すんだろう、ということ。ロコ語という三文字に収まりきるようなものではないのはわかってるし、なによりもこのへんはどこかで過去に言われてそうな気がするけど、自分の中で結論を出しておこうと思って考えた。

 

1.日本語に不足を感じている

 だいたいの言葉は(本当に扱いが上手い人は別として)おおまかに一つの言葉に対してそこまで多くの意味を内包できないと思うんですけれど、英語を交えることによって数多くの意味を内包できるんじゃないか、と思った。

 彼女にとって日本語というものは自分の考えを正確に伝えるためには少し力不足であって、そして湾曲した意味に捉えられるというのもそれなりに許せない。「ロコ」という自己性を大事にしているので、そこで複数の言語が入り混じろうともそれは大した問題じゃない。英語を日本語と同じ水平線上に感じて、そして獲得したのが「ロコ語」。彼女にとって言語はもしかしたら手段なのかもしれないと思った。

 あと上のスカルフェイスの発言にも通じるけれど、ひとつの日本語という言葉に思考を支配されたくなかったんじゃないか、とも思った。(対してエミリーは日本語で自身を縛る形の表現をしているし、これは日本的思考をより深くして獲得しようとしての行為だと思うと納得できる)

 

2.日本語だと遅い

 例えば英語の歌とか聴いてもらえるとわかるけれど、すごい短時間のうちにいっぱい歌詞が流れてくる。これを日本語に直そうと思うとめちゃめちゃに早口になるほかないってくらいに単語が多い。

 ANHBでも「インプレッションキャパオーバー」って言ってるし、まあそんだけあふれるものあったら日本語だと牛のような速度に感じるだろうなぁと思う。

 上も交えて、より正確に素早く、かつ多くの情報量を伝えようと思った結果生まれたのが「ロコ語」という概念という考え。まあそれが理解されるかはおいておいて。表現の言語。

 

3.個性として

 とまあそんな結論を考えた後に「でもなんかグリマスの初期にどうでもいいこと英語にしてた気もするな」と思ったので。「ロコのアイデンティティ」としての「ロコ語」。

 言語による印象というのは強い。ひなたや奈緒の方言がそれに近いといえばそうなのかもしれないけれど、彼女らは土地から獲得したのに対してロコは自分から獲得していったって点が面白い。実際個性として出力する言語の強力さは半端でない。

 

 とりあえずで3つ考えたけど「これだ!」っていうのは特にないなーというのが感想。まあおいおい考えていきたい……。