サイド・ロード

立入禁止のたのしいほうへ

 僕は可能な限り外出を嫌い、可能なら適当に本とかTwitterを見て家の中でガンガン音楽を流しながらころころしていたいような人種なので、人との会話を極端に苦手とするようになってしまった。

 話したい人は山ほどにいて、行きたい場所もそのぶん谷ほどあるのだけれど、Discordなどで話すとなるとこれまで本の活字から一方的に覗いていたのに、今度は喋る側にならなきゃいけない。もちろんだいたい話が続かない上に、人一倍気が弱いものだから沈黙が何より怖い。続かないからってめちゃくちゃな話をしてしまう。このあいだ続かないときに話したのは「中島らもの『酒気帯び車椅子』の感想」だった。もちろん居合わせている人はこんな本読んでないので、へえとかふうん、としか言いようがない。

 まあそんなわけだから人間と接することが日を増すごとに恐怖となりつつある現状、Twitterをゆるゆる観ていると「他人を好きになる方法すなわちそれは自分を好きになること!」と啓蒙する寝てる猫だかなんだかのアイコンにキラキラした記号をちりばめたハンドルネームのアカウントが流れてきた。

 ふむそうか、と思って今自分が好きか考えてみたら難しい。自分の過去を追って考えてみても、最初の記憶が幼稚園の頃に

「あいつは脚が速いのに俺は遅いしこりゃあもうだめだで」

と思ったことだったりするので、なるほど難しい。小中高校の記憶はすでに腐敗して蝿がたちこめていて、真っ暗で見ることもできないし、別に見たくもない。そう思うと、幼稚園の延長線上にある僕は現在自分を好きでないということになる。

 自分を好きになると自惚れるは若干ベクトルが違う気もするが、絵を描く人とたまに話していると「よしっかわいい」とかいう言葉が飛んできたりする。これは自分に暗示をかけてモチベーションを保つという方法であるらしい。なるほどと思って自分もやってみて、描きながら「ん〜〜かわいいかわいい」とアホ面で適当ぬかしていた結果、僕は自分の絵が可愛いんじゃなくて被写体がかわいいということに気がついてしまい、

「このかわいさを俺の手が表現できるのだろーか!?」

とか考えてイライラしてきたのでやめた。最近は「ふざけんなよ……」とか言いながら描いてる。被写体がかわいいことに怒っているのだ。

 これを踏まえて考えるに、自分には自分を好きになるよりも自分に「ふざけんなよ……」と思いながらやったほうがいいような気がしてきた。それはいったいどーゆー生き方なんでしょうか!? なんて言われたら「お前……ふざけんなよ……」としか言えないと思うので、結局のところ僕にはわからない。気が弱いなりに人に怒りながらなにくそのエネルギーを放射して生きるって感じだろうか。

 

追記

 最近自炊を始めた。卵を買って茹でるだけのことを自炊と呼ぶかはわからないが、結局のところこれが一番やってしっくりくるしおいしい。いまも茹でている。