サイド・ロード

いつでも戻れるようにパンを撒いてゴー

臆病について

 寝坊をやらかして、遅刻して怒られるのが嫌なので、今日は自主休講することにした。

 例えばこの場合、自主休講せずに行くという手段があるのだが、僕はなんとなく怒られそうな気がするので、自主休講をすることにした。

 自主休講することによって明日、今日真面目に登校した生徒に何を言われるのか怯えながら、なんかで読んだ「人は常に自分が生きやすいように生きている」とのことを思い出した。

 思うに、数多の人生経験を得た上でその際その際で「生きやすいように」歩んだ結果今の「生きている」自分がいるのであって、その上で完成した人格というものに「まじめ」だの「おこりっぽい」だのの単語を使って人格を閉じ込める。

 そもそもオタクというものは異様に臆病なものが多く、例に漏れず僕もそれに含まれる。特に僕の場合異様なほどに人の目を気にしてしまう自意識過剰なところがある。(なぜかこういう話をすると意外と思われることが多いのだけれど)

 例えば、人に指示を出すのが極端に苦手で、意見するのも苦手で、というのはこれは意見を出力することに対し「生きづらい」と感じたがゆえの要因があったのだろうと思う。

 そして会話も苦手であって、これも上と一緒の理由でいいんじゃないでしょうか。よくわかんないですが。

 そういうどこかでなんかあって最適化されたがゆえに、僕はもう喋るのとか無茶苦茶に下手くそなんじゃないだろうかと思い、例えばなんか配信とかしても4秒くらいしかしゃべれないでただ空虚がスピーカーを漂うんじゃないかとか思っていた。

 しかし最近Twitchで絵を描く配信をしたところ、2時間にわたって延々と独り言を喋り続けるという恐ろしくあり寂しくもありということを完遂してしまい、自分が非常に恐ろしく思ったこともあった。

 そして僕は活字の上でも結構おしゃべりなんであるから、これはもうよくわからない。現に今一人でもくもくと800文字近くここまで書いているわけだから。

 思うに、おそらく「相互の意思疎通」がいるということを恐ろしく意識しやすい、あるいは「嫌われたくない」というところがどこか根深いところにあるんじゃないか、とは思う。

 たしかに活字をこうやって滑らしているうち、部屋に響くのはからからとしたタイピング音だけ(今人間椅子の「もののけフィーバー」流してるんでその限りではないのですが)なので、要は活字という道具と僕の意識というところですべてが完結している。ここに別の人間が入る余地はない。いったん公開を押すと世界に向けてこの1043文字を張り出すことができ、そして僕はアクセス数を観てコーラを飲んで一息(と一げっぷ)を吐き出すだけ。サーカスあるいは演劇。そんな感じが最も近いと思う。活字の躍動なんていうとたいそうに見えるけれど、そんなところがある。

 しかしこれがチャット的なものとなると、僕が書く。それはただ一人だけのためである。その言葉という僕の心の奴隷であって、僕の心の檻でもあるものをただひとりのためにつかわせる。そしてもう一方も気持ちを奴隷たちに代弁させる。その奴隷たちは表情もなく、僕とただ向き合うだけだから、その本人がどんな気持ちで書いたかを伝える術はない。会話の場合はそれに感情も載せることもできるだろう。

 ただ、僕はその「人につかわせる奴隷」の扱いがものすごく下手であって、いつ相手の奴隷が槍や剣を持って襲ってくるかわからない。それだったら「出さない」というのを選び続けてきた結果、このような人間性が出来上がってしまったのである。

 こういうことを書いて自分と向き合ってみると「わかりやすいことじゃねえか、なんだよ、剣も槍も爆弾も銃も持ってきやがれい」みたいな気持ちになってくるものの、それはピエロが火を噴くみたいな感じであって、この記事を書き終わる頃には化粧をはずし、そして火も何も持たないピエロはただ怯えるのみなのだから、めちゃくちゃにこまった。

 うーん、もっとこう、なんとかしたいよね。難しいね。