サイド・ロード

相も変わらずしみったれ

地球儀には無いが、それでも若干ありそうな国

 自分の好きなものの中に流れる空気感というものが若干わかってきた。

 というのも、先日自分の好きなものを書く、というハッシュタグを行った際に、過去と現在の好きだったものを見つめ直した結果、共通項があった、というだけだが。

 例えば、PANTAの「蝗が飛んだ」という曲は、蝗害を周囲とりまく世界と例え、「お前」と「俺」だけが家の中で愛し合い、窓の外の飛ぶ蝗たちを見ながら「どこへ飛ぶんだ 何を求めて飛ぶんだ」みたいなことを思う歌詞だが、僕はもちろんのこと蝗害を経験した人間ではないし、大量の蝗を見た記憶も無いのだが、どこかでは実際に蝗害があったわけで、その遠い異国の蝗のことをぼうっと考えるというわけだ。

 もうひとつ別の例を上げよう。「チョロQHG2」というゲームは「次のグランプリ優勝者に大統領を譲る」との大統領の声明をもとに、主人公が大統領のために様々な街を訪れ、各町のレースを優勝しグランプリ参加権を獲得しグランプリを優勝、大統領とのレースを行ったのち大統領になる、というのが大まかなストーリーではあるのだが、広大なマップの中にちりばめられる街は南国、雪国、江戸時代風、ラスベガス風など、様々な一貫した時代テーマのある町並みばかりである。大統領就任後は何もやることはないので散歩するためのゲームになるのだが、これが楽しいこともあり、このゲームの評価はチョロQシリーズを通しても高い。

 これらの共通項から見るに、「どこかにありそうで、どこにもないような場所」みたいな幻想を見つめることができるような作品が僕は好きなんじゃないか、と思い始めたのだが、なるほど、そうしてみると中島らも大槻ケンヂなどが持つ独特の「浮遊感」みたいなのもそれに近いな、と思う。

 完全なる異世界というよりかは、若干あってもおかしくないような、今の世界が若干歪んだみたいな若干異世界ぐらいが好きなんだと思う。

 そうして見返すと、自分のSSにもイラストにも、なるほどそういう感じのところはあるな、と思う。

 異世界を増築するほどの想像力が無い、といえばそうなのかもしれないが。