まちばり

つくりかけのおもいでのパッチワーク

インドカレー屋

 かつて私の家の近くにはインドカレー屋が存在した。

 インドカレー屋といっても正確には「ネパールインドカレー」という多国籍な食べ物であって、店員さんもネパールの人という、何が何やらよくわからない感じになっているが、言ってしまえばナンにカレーをつけて食べるカレー屋さんのことだ。

 インドカレーにハマったきっかけは、というと、筋肉少女帯の「日本印度化計画」という曲があり、「日本を印度にしてしまえ!」という叫びから始まるおもしろ革命ソングと、その作詞をした大槻ケンヂ教祖が、エッセイでやたらと、思い出したようにインドカレー屋に通う描写が見られる。(といっても、最近はあんまり見られないけど)

 どうにも、インドカレー、激辛。これを食べるに辛さで痛みでタリラリラン、脳内麻薬を分泌させていろいろ思いつくというのだから恐ろしい。これは真似せざるを得ない、ということもあり、インドカレー屋を探して市内をぶらついた末に見つけた、静かで、若干いい加減な、いわばベストプレイス。

 というのも、私はうるさい店、ファミリーレストランの老若男女があらゆる場所で思い思いに発する声というものがむちゃくちゃに苦手。幼児の泣き声、それに怒る母、店員さんのあたあたした感じとか、いっぱい頭に入ってきて、しんどいのだ。

 そして、きっちりしすぎる店、これもなんか怖い。この場でもし、誤って気が狂おうもんなら、絞殺、刺殺、撲殺、銃殺、あるいは諸々の殺害手段でもって淡々と黙らされ、明日には産業廃棄物として大阪湾を埋め立てる地となるんじゃないか、と気が気でならず、これもまた恐怖の中飯を食べなければならないが、ここで作法を損なう、あるいは、飯をこぼす、などしたら上記のことがあるのではないか、と味のしない飯を丁寧にすすることになるのである。

 ベストプレイスの店員さんは適当だった。私は配分が下手なのでナンにカレーをちょんちょんして食べているとどうしてもルーが余ってしまう。仕方がないのでルーをスプーンで食べたりするのだが、どういうわけかこの店はカウンター席だろうとフォークはあるのにスプーンが常に存在していない。店員さんに「あの……スプーンないんすけど……」と問うならば、「あー!」みたいな顔で別の席からトレーをそのまま取ってきてスプーンを取るよう促す。絶対にスプーンを足さない。

 フリーWi-Fiを開放していたがIDとパスワードは共に英語と十数桁にも及ぶ数字の初期設定のまま、それを丁寧に書いて貼り出している。結局誰も使うことはなかっただろう。

 客が私しかいなかったら店員さんは携帯の動画サイトでなんか観てる。

 なぜかカレーうどんを始めた。

 他にもいろいろあったが、なにかと愛嬌のある店で、客も少なく、殺されることもなさそうなので完全にのびのびと飯を食べることができた。

 そんな店がある日、潰れたのだ。客が少なかったのだ。確かに別にここでインドカレーをやる必要はないよなぁ、とは思ったが、しかし、もう顔も憶えていない、ネパール人の店員さんと今後会うことは二度と無いのだろう、と思うとなんだか不思議な気持ちだった。

 あの人はどんな気持ちで、どういう理由でこの日本の、京都の、めちゃくちゃ微妙な場所でインドカレーを作っていたのだろう。と、時々思うのだ。

 本人の居らぬ今、それを確かめる術はない。店員さんに顔を覚えられるくらいには通ったのだが、記憶にある会話は、店員さんが夏にふと一言漏らした「あっついですねー」に「そうですねー」って返したくらいである。

 会ったところで話すことは本当になにもないのだが、元気にしていてほしいな、とだけは思っている。